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富野メモが記した真実:打ち切りが変えた歴史
1979年に放送が開始されたテレビアニメ『機動戦士ガンダム』は、現在ではアニメーションの歴史において金字塔とされる作品となっている。
しかし、この名作が当初は「全52話」の放送を予定していたにも関わらず、「43話」で放送を終了していたことは余り知られていないかもしれない。
実はこの打ち切りがもたらした影響は計り知れず、多くのファンが「もし打ち切られていなかったら、どうなっていたのか?」と疑問に思っているのだ。
この記事ではガンダムが何故打ち切りなたのか?本来の結末はどういったものだったのか?富野メモに記してあった真実について深堀りしていこうと思う。
突然の終焉:物語の展開にも影響
機動戦士ガンダムが打ち切りであったことを念頭に置いて、改めて作品を思い返せば、確かに物語の終盤には多くの突然の展開が起こっていた。
例えば、ジオン公国軍のギレン・ザビが自分の妹であるキシリア・ザビによって討たれる場面などは多くの疑問を投げかける瞬間であった。
このような展開は、打ち切りによって急遽物語をまとめる必要が出てきたからだと考えられる。
伝統を打破する新風
当時のロボットアニメは、基本的には勧善懲悪のストーリーが一般的だった。しかし、『ガンダム』はその伝統を打破し、戦争をテーマにした複雑な物語を展開。
これが当時の子供たちには受け入れられず、視聴率が伸び悩んだことも打ち切りの一因ともされている。
富野メモに記したアムロ・レイの運命
富野由悠季(当時は富野喜幸)監督が残した「富野メモ」によれば、なんとアムロ・レイは本来最終回で死亡する予定であることがわかった。
また、アムロにあっけなく撃墜された木星帰りのニュータイプ「シャリア・ブル」はシャアの片腕として大活躍するはずだったとも記されている。
このような未公開のプロットがあったことを考えると、話の展開は全く異なるものとなっており、打ち切りがもたらした影響は非常に大きいと言えるだろう。
打ち切り後の盛り返し:アムロ・レイの生存とガンダムの成功
皮肉なことに、打ち切りが決定した後に『ガンダム』の人気は急上昇することとなる。
玩具の売上も好調で、その後の再放送や続編、さらにはゲームや他のメディアでの展開も成功を収めている。
アムロ・レイが生き延びたことで、多くの続編やスピンオフ作品が生まれ、『ガンダム』は多角的なメディアミックスを展開する一大コンテンツとなったのだ。
総括:打ち切りが生んだ新たな可能性
『機動戦士ガンダム』の打ち切りは、多くの疑問と未解決のプロットを生んだものの、それが逆に作品に多角的な魅力と深みを与え、打ち切りがもたらした「もしも」の世界は、今でも多くのファンを惹きつけ、新たな物語や解釈を生み出している。
このように、打ち切りという一見否定的な出来事が、長い歴史の中でどのように作品に影響を与え、それがどのように受け入れられたのかを考えることは、アニメーション業界においても非常に興味深いテーマと言えるだろう。
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